20年間断捨離を続けてきた僕が「それでも捨てなかったもの」リスト

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20年間断捨離を続けてきた僕が「それでも捨てなかったもの」リスト

 

断捨離が好きです。

やりすぎです。

部屋には何もありません。

なんで断捨離してるんですか?

最後まで残るものを確かめたくて。

断捨離が終わったんですね。

はい。

最後まで残ったものはなんでしたか。

 

 

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20年間断捨離を続けてきた僕が「それでも捨てなかったもの」リスト

ガジェット編

MacBook Air Apple
iPad 6th 128GB Apple
iPhone 8 64GB Apple
Apple Pencil Apple
バックパック Moleskine
MacBook Air ケース 13inch Moleskine
ウォレット Moleskine
iPadフォリオ Moleskine
iPhoneケース Moleskine
ガジェットケース Amazon basic
充電用ACアダプタ(Macbook) Apple
充電用ACアダプタ(iPad) Apple
充電用ACアダプタ(iPhone) Apple
ライトニングケーブル Apple
イヤフォン Apple
ノイズキャンセリングヘッドフォン Beats
Bluetooth Magic Keyboard Apple
バックパック Amazon basics

AppleとMoleskineのコレクターです。

ほぼそのブランドだけですね。

集めるのに10年ぐらいかかりました。

 

服編

めんどくさいので箇条書きにします。

 

 

商品 ブランド
スリムノータックチノパンツ UNIQLO
ポロシャツ UNIQLO
カーディガン UNIQLO
オクスフォードシャツ UNIQLO
靴下 UNIQLO
ウィンドブレーカー UNIQLO
ダウンジャケット UNIQLO
ピーコート GAP
スーツ REGAL
礼服 REGAL
ワイシャツ UNIQLO
ハンカチ ノーブランド
ハーフパンツとTシャツのセット United Athle
Air Force One NIKE
革靴 Asics

家具編

商品名 ブランド
ソファセット Karimoku
ベッド 無印良品
テーブルとチェアのセット 無印良品
ワークデスクとキャビネット もらい物
間接照明 IKEA

 

小物編

商品名 ブランド
アカシアのコップ ノーブランド
アカシアのカップ ノーブランド
アカシアのお椀 ノーブランド
アカシアのフォーク ノーブランド
アカシアのスプーン ノーブランド
アカシアのプレート ノーブランド
ジップロックのスクリュータイプ ジップロック
お箸 実家から持ってきたもの
包丁とまな板 ドラッグストアで購入

そのほか

シャンプーとか、歯ブラシとか、髭剃りとか。

冷蔵庫、炊飯器、電気ケトル、電子レンジ。

免許証、健康保険証、年金手帳、パスポート。

こんなところです。

 

 

精神的にも断捨離をした

徹底的に考えていることや感じていることを書き出しました。

 

 

最後まで残ったのはどんな思いだったのですか。

価値について考えることでした。

価値そのものではなかったのですね。

そうですね。

ほかには何かありましたか。

書くこと、何か(物語やイラストや音楽)を作ること、何かを創造することです。

クリエイターになれそう。

でもクリエイティブ関連もやめました。

どうしてクリエイティブ関連を始めたのですか。

断捨離の手段です。思考と感情を断捨離するために何かを創ることが必要でした。

それではそもそもどうして断捨離をするのですか。

最後まで残るものを確かめたくて。

最後まで残ったのは「価値について考えること」だったのですね。

はい。

20年間断捨離を続けてきた僕が「それでも捨てなかったもの」リスト 思想編

  • 「何もないこと」への執着

最後まで残ったものは「考えること」でした。

そのための最低限の空間と時間とエネルギーとお金を確保するためにずっと働いていたんですね。

そうですね。

社会とのつながりや人間関係などはどうでしたか。

家族との関係が最後まで残りました。

そうだったんですね。

最後まで残るものは、大切にしていたものというよりは、切っても切れない縁のようなものだったと思います。

切っても切れない縁。

はい。面倒を見なくちゃいけない人だったり、自分がなんとかしなくちゃいけない人だったり。愛情とか、絆とか、そういう言葉よりは、こう、介護とか死んだ後の手続きとか、そういうことを考えると、本当に近しい人というか。

なるほど。

自分は今までそういう人間とか社会とかそういうものと距離を置いてきたので、最後まで残るものは内面性だと思っていたんですよね。それでも、意外にAppleの製品とか無印良品の家具とかMoleskineのバッグ類とか、お気に入りのもの、UNIQLOのビジネスカラーのセミフォーマルとか、重宝するものはリピートして買い替えていました。内面性のうち、感情については浮き沈みが激しかったので淡々と生きるようにして、結果的に残ったのが思考という感じでした。

そうだったんですね。

はい。ですが思考についても、これ以上考えることがなんらかの価値を生み出すことはないという結論に達したので、もう考え続けることはやめました。

そうなんですね。今まで何のことを考えていたんですか?

価値についてです。

 

価値についてのどんなことですか?

世界には、絶対的な価値のようなものがあるのかどうかということです。

なるほど。絶対的な価値・・ですか

はい、全てが相対的に見えてしまって、何も信じられるものがなくて、果たして自分にとって、あるいは世界にとって絶対的なものはあるのかどうか、ということをずっと考えていました。

相対的な価値観について考えながらも、絶対的な価値について、何が残るのかを考えていたのですね。

はい。

そうだったんですね。

最終的には、何もない状態を目指していたんだと思います。ですが、物理的、精神的に、この宇宙空間に生きる人類にとって、本当の意味での「何もない状態」は実現不可能だという結論に達しました。

断捨離をしても、自分の所有する空間から物質エネルギーが消えるだけであって、実際には総体としての物質エネルギーは変わらない。精神エネルギーも同じように、今この瞬間に集中すること以外に、過去や未来についての雑念を消す方法はありません。雑念は永遠に浮かび続けます。「何もない」というのは不可能です。「それでも残るもの」は、もしかしたら自分にとってはとても大切かもしれない。断捨離は、一種の「価値を試す行為」であり、自分にとっての優先順位を確かめる行為だと思うのです。

優先順位を確かめる行為・・・なんですね。

はい。どうしても捨てられなかったもの、それはきっと強いこだわりがあるものです。私にとっては、それは時に社会適応の障害になるほど強いものでした。ですが、今回の断捨離で分かったこととして、「そこまでしてこだわりたい理由」のようなものに気がつくことができたということがあります。

そこまでしてこだわりたいという理由。

はい。私が最後まで捨てられなかった思考は価値についての考察でしたが、そもそも「不在」を証明することはとても難しいです。「何かがある」ことを証明するためには事実を一つ持ってくればいいのですが、「何かがない」(あるいは、何もない)ことを証明することはとても難しいです。「世界に価値はあるのか?」についてずっと考えていました。客観的な価値、共通認識としての価値、主観的な解釈としての価値、様々な価値があると思いますが、私はずっと「価値の消滅」について考えていました。むしろ価値を消滅させられないか、について考えていました。いい学校に入って、いい会社に入って、いい人と結婚して、子供をいい学校に入れて、みたいな、ステレオタイプの価値観で苦しんでいる人はとても多いし、自分が少数派だからという理由で生きづらさを抱えている人はたくさんいます。特に日本ではグループや集団行動で、空気を読めない人、協調性のない人は弾かれます。私はそういう「人間の行動様式を決定している原理」のようなものとして「価値」を捉え、そしてその「原理」のようなものを消滅させられないかと思っていました。そうすれば、もっと自由にみんな生きられるようになる、社会の質的な成熟につながると思ったからです。ですが、「価値観の消滅」のようなものはおそらく不可能だという結論に達しました。それは価値体型を持つ人類の思考や感情が本体としての「肉体」つまりは脳に依存していること、そして肉体の消滅なしには思考や感情、そして価値観の消滅は不可能だからです。そして世界には常に「何かがある」という状態です。何もないと思われている宇宙にも真空状態が存在します。空間的にも、時間的にも、エネルギーとしての「何か」が存在しており、そしてそれらは消滅することがない。結果的に、私たちが考える「何かが存在していること」は、この宇宙の基本原則であり、「何もない」を望むことはこの基本原則と一致しないということです。私はずっと「何もない」を望んできました。それは仏教でいうところの「さとり」のようなもの、あるいは静寂、沈黙、のようなものだったと思います。ですが、最終的に、私が断捨離をして最後まで捨てられなかったのは、この「何もない」への執着だったのだと思います。「何もない」について、あるいは「価値」について考える、ということによって、意識のメモリを消費し、エネルギーを消費していたことに気がつきました。

そうだったのですね。

本当の意味での「何もない」が実現不可能だとしたら、私はこれからずっと「何かがある」に視点を当て、考え、行動し、現実世界を生きていこうという気持ちでいます。どんどん捨てていくこと、どんどん消していくことで、「本当に大切にしたいもの」がはっきりするというメリットはあると思います。ですが、最終的に「何もない」にたどり着くことは不可能であり、そして「何もない」への執着があるということに気がつかない限り、それはメモリを消費し続け、意識を稼働させ、意識という人間の機構を「何もない」状態に持っていくことはできません。一番最後まで残るのが「何もないことに対する意識」のようなもので、それは「何もないことに対する執着を捨てる」つまり、「何かがあること」を受け入れること、肯定することによってしか達成できません。何かがあるということを肯定することが、最終的には「何もない」状態を肯定することにつながります。逆説的ですが、断捨離とは「捨てること」ではなく、「持っていること」あるいは「持っている自分」もしくは「その物質が存在しているということを肯定する行為」だと思っています。

そうなんですね。

最終的には「何かが存在していることを肯定する」という行為にたどり着きます。

肯定・・・ですか。

ずっとこんなことを考えていました。フォルダの中にあるデータを全部消しても、フォルダは無くなりません。雑念は次から次へと浮かんできます。一つ上の階層に移動すると、フォルダが見えます。意識の抽象度を上げること、メタ認知的に、概念を俯瞰すること、何もないことではなく、何かがあることに意識をフォーカスすると、物事を構造的に捉えることができます。グラフィックソフトで全てのレイヤーを非表示にしても、アートボードは消えません。「何もない」という認識自体が「何もないがある」という認識を前提にしており、基本原理としての「存在」の範疇であるということが言えると思います

そうなんですね。最後まで残ったのは、なんだったのか?という質問に対しては、どのように答えますか?

最後に残ったのは、「何もない」ではなく、「何かがある」という客観的な事実でした。

ありがとうございました。

 

 

 

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